モンマルトル散歩

初日は,朝10時からモンマルトル散歩に。
パリの冬はどんよりとした曇り空。気温は日中最高温度が6度でした。でも、そんなに寒い❗️という感じではなく、歩いていくのに快適でした。

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ユトリロが描いたメゾン・ローズ

サンヴァサン通り


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オー・ラパン・ア・ジル は白からこんな色に塗り替えられてました。


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テルトル・広場など歩いて
サクレクール大聖堂を見学。

イエス・キリストの目が輝く席が一か所あるのでしたが、光らなくなってしまった。
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北側を周回するコーラン・クール通り。


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カフェでランチ。

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チキン、魚、ビーフステーキから、チョイスの定食16ユーロを注文。スープか、デザートのケーキか、選択でした。
僕はステーキ。

ルピック通り54番地のゴッホの部屋の見学。
管理人のミカさんが待っていてくれました。
懐かしい部屋は、ペンキが塗り替えられて、綺麗に管理されていました。
行く前にオーナーからお電話いただき、
壁にサイン書いて欲しいとの事でした。
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一旦ホテルに戻り、アベス通りの魚屋、八百屋、パン屋、ワイン屋、スーパーと周り夕食の買い物。


この日のメインは、牡蠣。12ダース=72個。牡蠣があまり苦手な人も居て、手長海老=ラングスティーン、帆立、シャケも。

7時過ぎから始めて,10時近くまで。
羽佐間道夫さんの25歳の時のロンドン,パリの旅行の話。レストランで牡蠣を注文。6つだと。来たのは6個単位で、36個も来て食べきれなかった話に沸きました。

羽佐間道夫の心臓の薬を忘れて・・、お嬢様の大活躍でアメリカン・ホスピタルに予約した。タクシー飛ばして診察受け、薬を処方してもらい街のファーマシーで購入して来た話は,とても勉強になりました。血液サラサラの薬なんですが、ファーマシーでは、箱単位で買わなければならなかったようです。診療は,保険が効かなかったのです。薬を忘れたのは保険適用外だそうです。

この日の朝には、メトロのチケットの共同購入も出来て一安心。10枚綴りのカルネが廃止されて,日本で言えばSuicaのカード式が導入されているのでした。

街はホームレスの人がまた復活していましたね。

魚屋でも,八百屋でも、日本がスペインに勝ったので、『日本,凄い❗️』と声かけられましたよ。

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